近年日本の森林に関して盛んに論じられるようになった事は大変好ましい事である。
それもいろいろな角度から論じられて興味深い、従来の林業と林業従事者といった単純数式的な見方から、多方面にわたる多次元方程式を提案する様な問題提起がなされてきたことは時代の要請背景からむしろ当然と言えるだろう。
曰く環境問題、CO-2問題、地球温暖化、洪水問題、資源問題、鳥獣害問題 里山問題 過疎地問題、そして荒廃した人工造林地の問題、間伐、枝打ち、木材の流通利用等々
NPO法人杣の会は法人組織する3年程前の2008年秋から任意団体として現役を引退した岐阜大学農学部林学科OB有志が集まり、ある機関からの委嘱で森林調査業務を開始する
当初はごく単純に大学で林学を専攻したと言うだけで、卒業後は現実の森林には縁遠い職種の面々が多数であったため、最初に人工造林地に入った時の衝撃は大変なものであった。
そこから2013年正式にNPO法人杣の会を設立し各地の森林を調べ歩く過程で日本の森林、殊に人工造林地に関する深刻な問題により向き合うことになる。
それは我々がまだ大学の学生時代にまで遡る昭和30年から40年頃に始まった日本林業始まって以来の革命的な拡大造林の流れから動き出した。
時代背景には終戦後の荒廃した日本の森林を再生し、極度の住宅難にあえいでいた日本の民衆に住む家を与えるといった切実な要請があり国民も納得して行われた官民挙げての壮大な大事業であった。
荒れ果てた山は多くの手が入り整地され杉とヒノキの苗木が植え付けられた。山のてっぺんから谷底まで急峻地もなんのその。広葉樹林は例外なしに皆伐され跡地には杉桧の苗木が植えられた。
現在もそのような広葉樹林帯の跡地の谷筋には伐採された広葉樹で炭焼きをした跡が残っている。膨大な材を焼くのに炭焼きの一家が何年も住み着いていたのだろう。
50年以上経過し緑一杯の現在の山容から、造林事業が行われていた将にその当時の真っ裸の山を想像するのはなかな難しい。何百人の地元の老若男女がその急峻な山肌に張り付いて作業をしていたのだろうことは容易に想像がつくが。
爾来50年以上の歳月は世の中全体を大きく変化させた。昭和30年と言えばもう戦後では無いと言われて高度成長のの波にもまれて怒涛のようなうねりを辿って来た。
そして気が付いたら山は、森林は取り残されて山村は限界集落として年々消滅の危機に瀕している。
昨今日本の森林が議論される時、往々にして里山が議論されているきらいがあるが、我々はそれよりも深い森林を想定している。そして其処にこそ深い問題が横たわっていることを理解してもらわなければならないと思う。
日本の森林は里山から亜高山地帯まで垂直に分布している。それらの森林の分類に保安林、水源涵養林などのほかに木材を伐採利用する山と、地形上その他の理由で利用不可能な山を分類し、利用できる山は積極的に林道を付け、開発し伐採植林を繰り返すための財政的な支援も含め開発する必要がある
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